田辺剛(下鴨車窓)×穴迫信一(ブルーエゴナク)対談
下鴨車窓(京都)が『渇いた蜃気楼』(脚本・演出:田辺剛)を5月6日(金)~8日(日)に福岡市南区大橋のゆめアール大橋で、5月9日(月)に北九州市八幡東区枝光本町の枝光本町商店街アイアンシアターで上演する。
ある夫婦が住んでいるアパートの一室。妻は汗だくで部屋に一人いる。夫は水の配給に出かけた先で自転車を盗まれ疲れ果てて帰って来る。二人はたいした会話もなく部屋の中にいる。ただ蝉の声が響くだけだ。ある男が部屋を訪れ三人は偶然の再会を果たす。三人とも遠く離れた故郷の幼なじみだった。ある夏の昼下がり、淡々とした夫婦の生活は故郷の記憶に翻弄されながら変わり始める。
下鴨車窓主宰の田辺剛は福岡出身。大学進学を機に演劇活動を始め、2005年に『その赤い点は血だ』で第11回劇作家協会新人戯曲賞を受賞、2007年には『旅行者』で第14回OMS戯曲賞佳作を受賞。現在は自身の創作活動と並行しながら、京都市にある劇場「スペース・イサン」のプロデューサーも務めている。
下鴨車窓の福岡公演は2011年にぽんプラザホールで上演した『人魚』、2013年に大博多ホールで上演した『建築家M』に続き今回で3回目。そんな田辺に、九州・福岡の演劇シーンの見え方やツアーに行く意味、自身の演劇観、そして今回の作品『渇いた蜃気楼』のことなどを、京都に何かと縁のあるブルーエゴナク(北九州)の代表、穴迫信一を交えてインタビューを行った。
田辺剛と穴迫信一の接点
―よろしくお願いします。
田辺・穴迫 よろしくお願いします。
―おふたりは初対面、ではないですよね?
田辺 はい、穴迫さんとは……。
穴迫 松原の商店街(※1)で……。
田辺 そうそうそう、商店街の。あれを拝見したのが初めてで。でもあのときは話は……。
穴迫 二言、三言ぐらいですかねぇ。
田辺 そうだね、そうだった。
―では、今回初めてじっくりお話をするんですか?
穴迫 それが実は先週京都で。
田辺 そう。劇研(※2)で。
穴迫 ええ、お話させていただいて。でも、ちゃんと話すのは初めてになります。
―そうなんですね。では早速ですが……どんな話をしましょうかね?
田辺・穴迫 え(笑)
―いや、対談となるとちょっと堅いので、ざっくばらんに話してもらうのがいいかなと。
田辺 あーそうですね(笑)
―田辺さんは、実は福岡のご出身なんですね。
田辺 そうなんです。今年で40歳なんですけど、20歳のときに福岡を出たんです。だから、今ちょうど福岡と京都が20年と20年で。今から京都での生活が長くなる。演劇に興味を持ち始めたのが高校2年生から3年生。当時はぽんプラザもまだないし、今の感じの小劇場のにぎやかさはなかったような。
―福岡で演劇はされていなかったんですか?
田辺 ええ。演劇部の友達がいて、部室に部外者として遊びに行く、というのはあって(笑)。あと、WOWOWが放映を開始した時期で、衛星放送で第三舞台(※3)のロンドン公演のドキュメントとか、夢の遊民社(※4)とかをやってて。それを観て、演劇って『オズの魔法使い』だけじゃないんだってことを知って(笑)。で、大学行って、演劇を始める……という。
―では、福岡の演劇とはあまり接点がなかった?
田辺 鹿児島だったかな、九州の演劇人が一同に集まるみたいな会。
―九州演劇人サミット(※5)ですね。
田辺 そうです。なんかそれがうらやましくって、僕、行ったんです。呼ばれてもいないのに。飛行機乗って。
―鹿児島に?
田辺 鹿児島に。そこで九州の演劇人の方とははじめましてな感じで。飲み会にも誘っていただいて。熊本の誰だれ、佐賀の誰だれみたいな感じでご挨拶させていただいて。そのときの名刺、まだ持ってますよ。そこで、なんかいいなあと感じて。福岡県出身者としてはちょっと仲間に入れてほしいなあみたいな。それからいろいろコンタクト取るようになって、ワークショップやシンポジウムに呼んでいただけるようになり、2011年に初めて下鴨車窓の作品をぽんプラザで上演して。2013年にも。2回公演してますね。で、今回ちょっと間が空いんですけど、福岡と北九州でやります。
九州・福岡の演劇シーン
―サミットに参加されて以降、公演やワークショップでこちらにこられるようになって、九州・福岡の演劇シーンってどのように感じますか?
田辺 僕自身が九州に対して興味を持っているので。「九州の演劇」というのが羨望の眼差しというか、仲良さそうだなと。
―確かに、九州は県域を越えた交流が普通ですね。
田辺 それはなんでですか?
―いくつか理由はあると思うのですが、ひとつは宮崎や北九州で行われるプロデュース公演(※6)、あとは九州演劇人サミットなどのように「県」という枠を越えた催しが継続的に行われた結果だと思います。
穴迫 そうですね。
―穴迫さんは、九州の俳優、演劇人と活発に創作してますよね? 気軽に(笑)。
穴迫 そうですね、気軽に。呼んだり、呼ばれたり(笑)
田辺 うらやましいな。穴迫さんが呼ばれたりするんですか?
穴迫 あります。去年は長崎の劇団さんに呼ばれて。
田辺 どのくらい滞在するんですか?
穴迫 1週間で作るときもあるし、うちの作品に参加していただくときは1か月とか。バイトとか紹介したりして(※7)。
田辺 へーすごいね。それは本格的ですね。
穴迫 北九州って各世代が揃ってるわけじゃなくて。たぶん、長崎も宮崎も熊本もそんな感じで。だから、九州内の同世代でがんばってる人間と出会うと、「わーーじゃあ一緒にやろうぜ!」みたいなのはありますね。そのときのうれしさみたいな勢いで。
作品を持ってツアーに行く理由
―作品やツアーについて伺いますね。今回が初めての北九州ですよね?
田辺 ええ。今回はご挨拶ということで。「田辺でございます。下鴨車窓です」というのを伝えに、みたいなツアーです。
―穴迫さんは、田辺さんの作品を観たことは?
穴迫 まだなくて。ただ、山田恵理香(※8)さん演出の『漂着』を拝見したことはあります。
田辺 あーそうなんだ。2011年とか?
穴迫 そうですね、『漂着』は2010年の12月かな。その前に北九州芸術劇場のシアターラボ(※9)で山田さんの演出を受けて。
田辺 あーそうなんだ。
穴迫 そのとき山田恵理香さんから「演出家からの言葉」を初めて聞いた、みたいな。すごい洗礼を(笑)。
田辺 へー(笑)、じゃあ演出の師匠みたいな?
穴迫 (笑)そうですね、師匠ですね。19歳、20歳の若手たちが恵理香さんの演出にたじろぐ、くらいつく……というのをやってましたねえ……。でも、それが良かったですね。
田辺 そうなんだ(笑)。僕、山田さんのこと好きでね。
穴迫 僕もなんですよ。山田さんのところの劇団「GIGA」も好きで。
田辺 GIGAも何度か観てて。中州の公園でやる『蠅』とか。ぶち壊す系? んー、なかなかいない演出家じゃないかな。ああいう演出家は関西にもいない気がする。利賀で賞とって(※10)。GIGAの15周年で『漂着』を書いて。
穴迫 そうなんですね。
―下鴨車窓さんは積極的にツアー公演を行っていると思うのですが、京都以外で公演を行う理由ってなんでしょう?
田辺 んー……。京都って狭い街なので、周りカンパニーも大体そうなんですけど、京都で作ったものを必然的に外に持っていくんですよ。でも、穴迫さんくらいの歳(20代半ば)のときはそれが嫌で。そのときに言っていた例えが「山に篭っている陶芸家のように舞台を作っていたい」。お客さんがわっと来ると嫌だったんです(笑)。静かに作りたいみたいな。客席が埋まるとか埋まらないとかまったく気にしていなかったし。
穴迫 (笑)
田辺 あるとき、出演者がたくさんお客さんを呼んでくれたんですよ。その方の友達を。
―はいはい。
田辺 ギャルを。いっぱい。
―陶芸家は望まない客ですね(笑)。
田辺 僕は、劇場の事務所からブラインド越しに、わーギャルが来たと。
一同 (爆笑)
田辺 「今から観る芝居は田辺史上、最高に抽象度の高い芝居ですよ」って心の中で謝りながら。
―(笑)ギャルは、どんな反応だったんですか?
田辺 いや、もう怖くて見れなくて、わかんない。でも、そんなことしてる時期に劇作家協会の新人戯曲賞に残ったりで、東京行ったり来たりとか、ワークショップとかで呼ばれるようになって、いろんな繋がりができて……。
―山から下りたんですね。
田辺 そうそう。もう下りてもいいのかなって。山で作った壷を街に置きに行く時期かなと。
―山を下りたのは何歳くらいのときですか?
田辺 30ちょっと過ぎたくらいかな。劇作家協会の新人戯曲賞を頂いたのが30歳のときだったんですよ。それ以降、アゴラや七ツ寺(※11)で公演するようになって。それまでは、やりたいことをするみたいな感じですね。
―穴迫さんは山は……?
穴迫 山は登ってませんね(笑)
―早い段階から、積極的にツアーしてますよね。
穴迫 そうですね、23歳で福岡市で公演して。
―エゴナク旗揚げは何歳?
穴迫 21ですね。
―2年目でツアーに出て、3年目で東京で公演?
田辺 すごいなあ。
穴迫 そうですね。でも、やっぱりそれはさっきも言ったような、九州内の繋がりが大きいですね。最初は、北九州、福岡、熊本で。出演者も福岡や熊本の方がいたし。
―穴迫さんが外で公演する動機はなんですか?
穴迫 初めて福岡公演をしたときのパンフレットにも書いたんだけど、集客を伸ばしたい時期で、福岡には北九州よりたくさんお客さんがいるので、「北九州まで足を運ぶのがちょっと……」というのであればこっちから持って行きますよ、みたいな。
―対照的ですね(笑)。
田辺 (笑)もともと、哲学の研究者になりたかったんですよ。論文書いて発表するような。
―篭っとけばよい、みたいな(笑)。
田辺 そうそうそう。でも、当時は就職先が本当になくて。先輩がやっと就職決まって、「おめでとうございます! で、どちらに?」って訊いたら「どっかの山奥の短大だ」って。あー……そうなんだあ……、と。
―ちょっとした絶望。
田辺 そうそう。そんな時期に劇作家協会の最終候補に残って。あれって最終候補に残ると本になるんですよ。
―そうですね。
田辺 結果は惨敗(笑)。でも研究者の道はいばらの道だし。今、考えるとこっちがよっぽどいばらの道なんですけどね。でも、論文か戯曲かというかたちかの違いだけで。最終候補に残った戯曲の本を持って実家に帰って、「大学院を辞めさせてくれ」と。
―あらら、そうなんですね。
田辺 哲学の研究者になりたかったんで演劇に関わる動機もちょっと違うんですよね。
―なるほど。
田辺 でも、演劇は人が観るものだし。少しずつ意識が変わったというか。居酒屋で自分の演劇が語られるわけじゃないですか。それがうれしくなったり。自分の作品を言葉にされるという経験をもっとしたいと。それで、少しずつですけど開いていった……そんな感じです。
―そんな感じで、作品を外にも持っていくわけですか。
田辺 そうですね。下鴨車窓は3つの形態があって。そもそも下鴨車窓は僕の屋号みたいなものなんです。もともとやっていた、「作品ごとにスタッフや出演者をオーディション等で作る形態」がひとつ。そして今回の「OFT」という座組み。あと、地元の京都や関西の20代に限定した「fullsize」という座組みの3つの形態があります。
―そうなんですね。
田辺 今回は、大沢めぐみ・藤原大介・高杉征司という40歳前後の、僕と同世代のOFTという座組みです。これは、ちょっと固定というか「この座組みで継続してやりたい」と考えてるメンバーで。このメンバーで小回りが利くコンパクトなレパートリーを持とうと。
―なるほど。
田辺 レパートリーを持つことによって、できるだけさまざまな地域を巡りたい。レパートリーなら安定した公演ができるので、初めて行く公演地で「田辺でございます。下鴨車窓でございます」とご挨拶ができればと。
―では、今回の作品についてお聞かせください。
田辺 これまでは、寓話性の強い物語で。
―架空の世界が舞台だったんですよね。
田辺 そうです。台本の一行目の始まり方がいつも決まってて、「現代日本からは、時代も場所も遠く離れた世界」。登場人物に名前がない。そうするとおとぎ話感というかファンタジーになるというか、僕は「寓話性」って言っているんですけど、そういう感じが出るんです。そういう世界のお話を2004年から2010年くらいまでやって。というのも、当時は平田オリザ(※12)さんの強い影響で、写実的な喫茶店とかの芝居とかが普通にあって、あれとちょっと違うことをやりたいなと。
穴迫 へー。
田辺 自分にハードル課した、みたいな。最初は新鮮というか、四苦八苦しながら自分のオリジナリティーを獲得できればと思ってやってきたんですけど、10年位やってると安心しちゃう。安心というか慣れてしまう。組み立てのパターンもできて。それをよろしくないなあと思えて。自己模倣のサイクルに入りかねないなあと感じて。それでちょっとスタイルを変えたいなと。
田辺 もうひとつは子供ができて。僕は二人息子がいるんですけど、そういった家族との生活の部分がすごく大きくなる。子供が風邪ひいたんでどうするかとか、否応なしに演劇以外の生活部分が入ってくるんですね。そうしたときに書きたいことも少しづつ変わってきて。そうなると文体も変わってくる。結果、写実性の強い具体性を帯びた表現になる。登場人物に日本人の名前が付いたり、ある地方都市のアパートだったりして。
田辺 あらすじは、とある地方都市のアパートの一室が舞台。で、そこにNHKの「契約してください」って人がやってくる。実はその人は……(すべてのをあらすじ説明されたため中略)。どうなんでしょ? 北九州では写実性の強い作風の劇団っているんですか?
―強いて挙げるなら、行橋の「演劇関係いすと校舎」ですかね。
穴迫 あーそうですね。
―いすと校舎は民家を改装した自前の劇場を所有してて、そこで「ある家族」「ある風景」というような作品を創ってますね。
田辺 へー、そんな劇団があるんですね。
―小倉から電車に乗って40分、駅から歩いて15分みたいなところで。もう、劇場までの移動から観劇の世界になってるみたいな。
田辺 へー。
―では最後になりますが、田辺さんから九州の方々にメッセージをいただけますか。
田辺 はい。福岡が8か所目、北九州が9か所目の公演になります。俳優陣も経験を積んでいるので、「京都にこんな俳優がいる」というのを知っていただければと思ってます。とにかく俳優を知っていただきたい。そして観客の想像をうまく引き出せるような作品になればと思ってます。
哲学を学び研究者を志した田辺は、山篭りを経て、劇作家、演出家となった。その作風は、会話や心理を静かに描き、そこに見えない景色をもとつとつと積み上げることを得意とする。京都の「陶芸家の壷」ならぬ演劇作品を、この機会に鑑賞してほしい。
出演は、大沢めぐみ、藤原大介、高杉征司。チケットは、一般2,500円、ペア4,300円、ユース(25歳以下)1,800円。予約・お問い合わせは下鴨車窓まで。
インタビュー・構成・執筆:北村功治(kitaya505)
(※1)松原の商店街
松原京極商店街。2015年3月、穴迫がこの商店街で『松原京極オプマジカリアルテクノ』を製作、上演した。
(※2)劇研
京都市左京区にある劇場「アトリエ劇研」。穴迫主宰のブルーエゴナクが4月8日(金)~9日(土)にアトリエ劇研スプリングフェスvol.1創造サポートカンパニーショーケースで『リビング』を上演したばかり。
(※3)第三舞台
鴻上尚史が主宰の、1980年代を代表する劇団。
(※4)夢の遊民社
野田秀樹を中心に結成された劇団。第三舞台と同じく、1980年代を代表する劇団。
(※5)九州演劇人サミット
九州の演劇人が一同に会し、シンポジウムやリーディング公演、交流会を行ってきた催し。第一回は2005年、熊本での日本劇作家大会のイベントの一環として行われた。
(※6)プロデュース公演
北九州芸術劇場と宮崎県立芸術劇場で毎年行われている公演。昨年度、北九州芸術劇場は『彼の地』(作・演出:桑原裕子)を上演。宮崎県立芸術劇場は「演劇・時空の旅」シリーズ#8『三文オペラ』(作:ベルトルト・ブレヒト、訳:谷川道子、演出:永山智行)を製作するも、上演権に関するトラブルで上演中止となった(時空の旅シリーズは昨年度で終了)。
(※7)バイトとか紹介したりして
他地域の俳優が北九州に滞在する場合、最近はとある農家が働き口として斡旋されたりしている。
(※8)山田恵理香
演出家。空間再生事業劇団GIGA所属。
(※9)シアターラボ
公募で集まった市民で期間限定の劇団を結成する、北九州芸術劇場の事業。
(※10)利賀で賞とって
山田恵理香は『悪魔を呼び出す遍歴学生』で、2005年利賀演出家コンクール優秀演出家賞を受賞した。
(※11)アゴラと七ツ寺
東京都目黒区にある「こまばアゴラ劇場」と、名古屋市中央区にある「七ツ寺共同スタジオ」のこと。
(※12)平田オリザ
劇作家、演出家、劇団青年団主宰、こまばアゴラ劇場支配人・芸術監督。「静かな演劇」と評されたその作風は多くのフォロワーを生み、現代日本の口語演劇のひとつの流れをつくった。
下鴨車窓『渇いた蜃気楼』
脚本・演出:田辺剛
料金:一般2,500円
ペア4,300円
ユース(25歳以下)1,800円
【福岡公演】
日時:2016年5月6日(金)20:00
7日(土)13:00
8日(日)13:00
会場:ゆめアール大橋(福岡市南区大橋1-3-25)
【北九州公演】
日時:2016年5月9日(月)19:00
※アフタートークあり(ゲスト:泊篤志(飛ぶ劇場))
会場:枝光本町商店街アイアンシアター(北九州市八幡東区枝光本町8-26)
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下鴨車窓
田辺剛(Twitter)
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