「mola!賞2020」発表!
2020年12月に公募を行い、エントリー即受賞が確約されていた「mola!賞2020」。今年は6件のエントリーがあり、6件すべて無事受賞となった。受賞者/団体は以下の通り(掲載は応募順)。mola!編集長の藤本瑞樹、kitaya505代表の北村功治によるコメントとともにどうぞ。
mola!賞に1番に応募したで賞
<受賞対象>
森園まっほー
<功績>
mola!賞2020に誰よりも早く応募したことによる表彰
<受賞コメント>
今年も愉快なmola!賞の企画をありがとうございます。
藤本 これは去年、「令和元年、九州で一番長く舞台上で倒立をした俳優賞」を受賞した森園まっほーさんの自薦です。
北村 2年連続受賞だ。おめでたい。
藤本 mola!賞やりますという記事をアップしたその日の夜に届きました。
北村 常連らしいふるまいだ。
藤本 ちょっと笑っちゃったんですけど、エントリーの際、「(1番じゃなかったときは落としてください。)」って書いてあったんですよね。
北村 ちゃんと受賞できてよかったですね。
47都道府県戯曲リレー言い出しっぺ賞(*他薦)
<受賞対象>
荒木宏志(劇団ヒロシ軍)
<功績>
今年の春から初夏にかけてツイッター上で行われた、47都道府県戯曲リレー。その言い出しっぺであり、リレー戯曲『だれかれかまわず』の1ページ目を担当した劇団ヒロシ軍の荒木宏志。田坂としては、全ての予定が白紙になり、創作意欲も落ち込んでいたタイミングでこの企画に参加できたことは、本当に命がつながる気持ちがして助かった、あれがなければ今の俺はないかもしれない、と感じているので、mola!を通して彼に賞をあげたいです。
<受賞コメント>(*推薦者による創作)
まさか、真夜中の「演劇人で何かリレー出来ないかな?」という呟きで、47都道府県戯曲リレーをやることになるなんて、夢にも思わなかったです。と、同時に今、それぞれの場所で演劇活動している人たちと知り合えて、ほんとに良かったです。
これも全て、真夜中にSNSで見た小山田壮平さんの歌つなぎリレーのおかげです。
藤本 これは、非・売れ線系ビーナス(福岡)の田坂哲郎くんの推薦によるものです。
北村 ガチのいい賞だ。
藤本 あのどうすればいいのかわからない、とにかくどうしようもなかった時期に、ヒロシくんが動いたことで周りを勇気づけることになったのはよかったですね。
北村 mola!賞がいい賞になりつつある。
藤本 それに対して賞をあげたいという田坂くんも優しい。田坂くんにも誰か「優しいで賞」あげてくれないかな。
北村 ヒロシくんがあげればいいんじゃない? バーターで。
藤本 で、次の賞ですが、あのー、先に謝っときます。特に携帯でご覧になってる方、すみません。僕が謝ることではないんですが……。
北村 次なんだっけ?
18禁賞
<受賞対象>
藤原達郎(大体2mm)
<功績>
ものすごくエロかった。
<受賞コメント>
世の中には2種類の劇作家がいます。稽古をしながら書く者と、書き上げてから稽古に突入する者です。
私はどちらかと言えば後者に該当します。というより、公演の1ヶ月前、本が上がっていない状態で稽古に突入するなんてこわくてできません。なぜなら、1ヶ月後に納得の行く本が書き上がる保証などどこにもないからです。稽古をしながら書くことのメリットは、出演者とのセッションの中で言葉を紡げることが1番でしょう。しかし私の場合、本番をひかえたプレッシャーで書き上がらない可能性の方が大きく、終盤までの流れを無視し、地球を大爆発させて終えるラストしか想像できません。
したがって、私の団体では公演の1ヶ月前に本は上がっています。1ヶ月前に本が上がっているということは、2ヶ月前にはプリントアウトしているということです。2ヶ月前にプリントアウトしているということは、3ヶ月前には脱稿しているということです。3ヶ月前に脱稿するためには、4ヶ月前に初稿を上げる必要があり、4ヶ月前に初稿を上げるために半年前から書き始め、半年前に書き始めるために1年前から構想を練っています。
2019年、「次回作はエロで行こう」と私は決めました。なぜそう決めたのか、今となってはもう思い出せませんが、「書きたかった」というのが正直な所ではないでしょうか。エロいものが好きか嫌いかと聞かれれば、どちらかと言うと好きだし、むしろ積極的に受容して行きたいと思っていて、なんならエロくないものですら、どうすればエロい目で見ることができるだろうかと、日々変換作業に勤しんでおり、ぶっちゃけ好きなものベスト3に余裕でランクインするほどエロいことばかり考えているため(ちなみに2位3位に圧倒的大差をつけての1位)、逆に、なぜ今までエロい作品を作らなかったのか不思議なくらい、その決断は自然なことのように思えたのでした。
エロはすでに、様々な表現媒体で描き尽くされて来たジャンルであり、「今さら……」という向きのあることも理解できないではありません。が、エロは人間にとって根源的な欲求であり、描き尽くされて来たということはそれだけ想像力を喚起するテーマであるというのもまた事実で、私にしか表現できないエロの鉱脈もどこかにあるはずです。
重ねて、私はこれまで、会社でだらだらする話、居酒屋でだらだらする話、公園でだらだらする話、駅でだらだらする話、会社でだらだらする話、家でだらだらする話、車でだらだらする話、旅先でだらだらする話、結婚式でだらだらする話、学校でだらだらする話、会社でだらだらする話、公園でだらだらする話、と、だらだらする話しか書いて来ませんでした。満を持してのエロで、自身における新境地の開拓を目論んだのです。ひょっとしたらエロを描いた結果、寝室でだらだらする話になる可能性は否定できませんでしたが、目標を達成するために得意な手法を用いるのは当然あってしかるべきで、挑戦するからには既存作を越えねばならず、お尻を見せる程度では生ぬるい、クレヨンしんちゃんだって見せとるわ、直腸を内視鏡で見せてやる、だらだらとね! という覚悟で臨むことにしました。
そもそも、エロを描くには恥ずかしさが伴います。エロは秘め事です。日本的エロスの真髄は隠すことにあると私は考えます。隠すことによって欲望をかきたてるのです。それを舞台の上で表現してしまおうというのですから、出発点ですでにアンビバレントな問題が発生しています。
また、私は台本を、1時間~1時間半程度の上演時間を想定して書きます。目の前に急に全裸の人間が現れたらびっくりしますが、1時間、ずっと全裸の人間が舞台上にいた所で、エロくもなんともありません。いわゆる出オチです。観客が慣れてしまわないための工夫が必要です。
と、パッと思いつくだけでも解決すべき点は山積み、中学生でもあるまいし、恥ずかしがっている場合ではないのでした。
私は恥ずかしさを払拭し、かつ、私なりのエロを追求するため、まず官能小説を読み漁りました。直接的表現もさることながら、官能小説はレトリックで読者を刺激するのだな、というのが私の抱いた感想です。男性器ひとつ取っても、アイスキャンディ、赤黒い全貌、熱い塊、暴れ棒、アプリコット、甘いお菓子、荒れ狂うもの、イギリス製の鉄兜、いけない張本人、芋、王様、お刺身、おのれ、瓦屋根、キリタンポ、クレーン、合金、魚、触角、尊厳、彫刻、びっくり箱のお人形、もう一人のあなたさま、などと様々な修辞が使われており、その表現の多様さにおののきました。
もちろん、官能小説を読み漁った経緯に関しては別の理由もあり、つまり、私が「20年来の官能小説の愛読者である」という事情もあるのですが、趣味の読書と、取材の読書では、読む際の観点がこれはもう明確に異なっており、どう異なるのかと言えば、微に入り細に入りその表現を味わうわけで(まあ趣味で読む時も存分に味わうのですが)、あくまでも台本執筆のための読書と捉えるのが正しいのであります。
ただ、私はセリフを書くにあたり、端的な言葉を紡ぐよう心がけており、レトリックは私の表現とは相容れない所があるな、と、その使用は躊躇せざるをえず、参考程度に留めることにしました。
次に、アダルトDVDを見ながらセリフの模写を試みました。映像は文字と違い、実用性を備えた直接表現そのものですから、端的なセリフとも相性が良かろうと思ったのです。以下、私が模写したセリフの抜粋です。
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ふう、はあ、あ、うーん、おっ、おお、ああ、ああ、ああ、はあ、あ、あああ、ああああ、あー、あ、あーあー、あああ、ああ、あ、いやー、ん、はあ、あ、んん、はあ、おお、おおお、お、ふう、ああ、あああ、あ、あーあーあーあー、ああ、あ、うん、はあ、あーあーあー、ふう、んん、ふう、んんん、んー、ああ、ああ、あーあーあー、あーーーーーーーーーーーー、いやいい、ん、あー、あーあーあー、むう、いやいい、あー、ああ、お、おお、ああ、あー、あー、やー、うーん、うううう、ああ、ああ、ああ、あー、あー! あー! あー! あー! あうっふ、んー、んー、んん、んん、んー、んん? んー、ん、おお、ん、んー、ああ、はあ、ああ、いやいい、ああ、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、あー、ああ、はあ、ん、うん、あ、はあ、あ、ああ、はあ、うん、うう、う、ん、ふう、ん、うん、
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このようなセリフが、400字詰め原稿用紙換算で26枚分続きます。渡された俳優は戸惑うに違いありません。なんのこっちゃわからないのです。台本には設計図の意味合いもありますから、この台本でシーンを立ち上げてくれ、と言われても、私以外のスタッフ全員が頭をかかえる羽目に陥ります。
また、私は書いたセリフを一字一句間違えずに声にして欲しいタイプの劇作家でして、上記のようなセリフを一字一句間違えずに覚えられる人間はなかなかいないんじゃなかろうか、少なくとも北九州にはいない、たとえできたとしても稽古に5年はかかるだろう、そこまでして上演する価値があるのか(いやあるまい)、というのが私の目算です。
さらに、上記抜粋では状況を2割も描写できていません。いわゆる「行為中」の発声では、言葉未満の息遣いや呼吸が大変重要なファクターとなっており、日本語表現の性質上、その大半を取りこぼしてしまいます。もったいない。もちろん、取りこぼした部分を補完するために「ト書き」があるのですが、8割がト書きの台本はもはやセリフとの主従関係が逆転しており、それは私の望む形の台本ではなく、「楽譜ならどうだろう」とも考えましたが、そもそも私は楽譜が書けません。私の思惑を楽譜に落とし込んでくれる稀有な友人も存在せず、というか友人自体がおらず、この試みもまた失敗に終わったのでした。
この頃、すでにプロットは出来上がっていました。「AとBが出会い、イチャイチャし、交渉する」至ってシンプルです。AとBというのは、男と男かもしれないし、女と女かもしれない。もしくは、男と女と男かもしれないし、女と男と女かもしれない。はたまた男と女と男と女と男と……(以下略)。私のエロは、性別、年齢、数、種、有機物、無機物、あらゆる枠組みにとらわれることはありません。演劇の嘘を駆使し、その垣根を飛び越えようというわけです。観客に「エロとは」と問いかけ、見つめ直し、一人一人の中にそれぞれの「エロ」が再構築される機会を与えるのです。ここにこそ、舞台表現におけるエロの演劇性を見出していると言っても過言ではないでしょう。であるがゆえの、シンプルなプロットなのであります。
ただ、それを落とし込む術がない。
行き詰まった時、私は先達の知恵を拝借します。
「文字で伝えられないのならば、しゃべって伝えよう」
つかこうへい氏は「口立て」という手法を用いて稽古を進めたと言います。つまり、俳優に台本を渡してセリフを覚えてもらうのではなく、稽古場で作家(私)自身が「このようにしゃべってくれ」と直接指示することで、息遣いや呼吸の細かいニュアンスまで再現できるという寸法です。これには私が劇作を始める前、俳優として舞台に立っていた経験が役に立ちました。上演に至る道筋で、台本に寄り添うのか、俳優の身体に寄り添うのか、要はバランスの話で、「台本上での困難は、台本以外に頼れば良い」と選択できたことが最も大きかったと、当時を振り返って思います。
もちろん、この方法にもデメリットはあります。台本が存在しないのです。前述の通りプロットはありますが、完成形は私の脳内にしかなく、そして2020年の時点で、脳内のイメージを完全にアウトプットする技術はまだ世の中にありません。なんなら本番当日までその姿は現れないわけで、1ヶ月前に台本が出来上がっている状態を作りたい私の主義にも反するのでした。
また「口立て」でセリフを指示した所で、俳優が一字一句間違えずに再現するには相当のスキルを要します。「それがお前の仕事だろう。なんとかしろ」と言うのは簡単ですが、何かしらのハラスメントに抵触する危険性が大きく、かと言ってクオリティを落として妥協するなど以ての外。あの手この手でハラスメントを回避し、それこそ大いにレトリックを用いつつ、間接的に「なんとかしろ」と伝えるのが、せいぜい作家にできる唯一のこと(もはや演出家の領域でしょうか)。何にしろ、困難はつきまといます。
演劇とは、どうしてこんなにも大変で、こんなにも魅力的なのでしょうね。
挑戦にリスクは付きものです。私はエロの追求者として、エロの可能性を探り、エロそのもののため、エロ(すなわち神)を舞台に出現させるべく、台本をかなぐり捨て「口立て」での創作を決行しました。
まず俳優に電話でオファーをかけ「台本は覚えなくていい(ただし口立てで覚えてもらう)」とぼかして伝え、出演の承諾を得ました。スタッフには「俺がなんとかする、まかせろ」と勢いで説明して押し切りました。座付きの演出家が「俺の仕事がない」と反論してきたのでクビにしました。
そして2020年夏、北九州市は小倉北区にある某公共施設の一室で稽古はスタートしました。私は室内に入ると同時に全裸になり、その「イギリス製の鉄兜」を露わにしました。俳優達に作品のニュアンスを伝えるためです。構想期間を経て、私のエロに対する羞恥心は消え去っていました。もちろん、このようなご時世ですので、マスクとフェイスシールドの着用は怠りませんでした。俳優達にも全裸になるよう求めたのですが拒否されました。まあ、初日はこんなものでしょう。私のエロの演劇性を理解すれば、自然と「衣服は邪魔だ」という認識に至るに違いないのですから。
まずはオープニングのダンスの稽古です。今回、振付け家として、「舞踏家/声優/象徴/居酒屋の店員」の肩書きを持つ太田カツキ氏(A Man of Wednesday)をモロッコのタンジェから招聘しました。カツキ氏にはメールで簡素な企画書を送っただけでしたが、新北九州空港から稽古場に直で現れると、一言も発することなく全裸になり、その「甘いお菓子」を焼き上げたのでした。そして「何も言うな、わかっている」と私に目で語りました。さすがです。世界で活躍する者は一味違う、と唸らされました。このようなご時世ですので、カツキ氏もマスク着用の上、トレードマークであるキツネのお面(ペーパークラフト。日本円にして約6500円)をかぶっていました。
カツキ氏は自身のiPhone XRとスピーカーをBluetoothで接続し、祇園太鼓の音色を電子的に加工したサイケデリックな音源を爆音で流しつつ、振りを付けて行きました。出演予定のなかった私も自然と身体が動き、いつの間にか一緒に踊っていました。土着的なリズムと単調な振りの反復は、観る者、聴く者、踊る者すべてに一種のトランス状態を引き起こし、その高揚感たるや、性的興奮と似て非なるもので、私は稽古初日にして、公演の成功を確信したのでした。
結論から言うと、公演は中止しました。
一通りの振りを付け終えた所で、カツキ氏がスピーカーを肩に担ぎ、雄叫びを上げ、「さあ、町へ出よう!」と稽古場のドアを蹴り破り、踊りながら出て行きました。私は率先して後に続き、俳優達も虚ろな目でわらわらとついて出ました。公共施設の事務員の方は、そんな我々をただ茫然と見送るしかないようでしたが、すぐ近くに小倉北警察署が建っており、お巡りさんが5~6名飛んで現れ、私とカツキ氏は器物破損と公然わいせつの罪により現行犯逮捕、二人とも初犯だったことが不幸中の幸い、2日間の勾留の後釈放、合わせて78万円の罰金(私20万、カツキ氏58万)、カツキ氏はモロッコへ強制送還されました。
その後、俳優達から「演じたくない」とのクレームが殺到し、プロットを提出した劇場からもNGが出され、もとより、主催者の逮捕された作品が上演できるわけもなく、空中分解した次第です。
私は勤め先から停職処分を受け、自宅謹慎中です。妻は子を連れて出て行きました(現在離婚協議中)。エロの演劇性を追求した結果、社会性が抜け落ちていたという体たらくです。
罰金の支払いも滞っています(カツキ氏とは音信不通)。
今ではハムスターだけが私の話し相手です。これといってすることもないので、次回作の構想を練っています。
ちなみに2021年は原点に帰り、会社でだらだらする話を上演する予定です。
(参考文献)「官能小説用語表現辞典」永田守弘 編
藤本 お疲れさまでした。
北村 お疲れさまでした。長い。
藤本 「なんでもありのmola!賞はどこまでありなのか」のギリギリを攻めようとしていますね。
北村 まあ、なんでもありだからいいんだけど……。
藤本 一応本人から事前に「書き上げたあとで応募要領を読んで、公序良俗に反してないか不安になったので、内容を確認してほしい」という相談がありました。
北村 強気なのか弱気なのかわからんな。
藤本 事前確認の相談があった、ということも含めての受賞とします。
北村 もうさ、達郎くんには小説書いてもらったらいいんじゃない?
正座マジック賞
<受賞対象>
演戯集団ばぁくう33周年 × (劇)池田商会20周年 特別公演『この道はいつか来た道』
<功績>
約1時間の演目のうち、半分くらいは正座をしていた二人芝居。足のしびれや痛みを乗り越え、何事もなく芝居をやりとげた功労を称える。
<受賞コメント>
このたびは、不条理劇にふさわしい、無なる賞をいただき、大変光栄です。
芝居の冒頭、ホームレス風の二人が道端にダンボールとゴザを敷き、その上に座ると、正座のまま会話が続きます。ダンボールに工夫もしましたが、感触としては板。そして本番では30分ほどですが、稽古ではシーンを返すのでより長く。稽古が終わり、立ち上がるときはキャスト二人が「いたたたた……」と声を揃えたものです。芝居中に両足が同時につったこともありました。表情には出せませんでしたが、あれはとても痛かった。
この公演は、演戯集団ばぁくう33周年と(劇)池田商会20周年にちなんで、盛り上げてゆくはずでした。しかし急激に変化する世の中に戸惑いためらううちに、情宣もままならず終わってしまったことが、無念でした。
そんな中、アンケートに「しかし正座がすごいですね。マジック?」という、すてきな感想を書いてくださった方がいて、それが今回の賞につながり、すべてが報われたように思います。受賞の喜びを誰にと問われれば、この状況の中、客席に来てくれた皆様に。そして、慣れない映像配信を遠くから応援してくれた皆様に。そして、今は芝居の神様となって演劇界におられるであろう、別役実氏に。ありがとうございました。
藤本 こちらは演戯集団ばぁくうの江上幸世さんからのエントリーです。
北村 mola!でも記事にした公演だね。
藤本 ばぁくうさんはこの公演のほかにも、積極的に取り組まれていましたね。
北村 別役さんの不条理劇に対して、無の賞が与えられるって不条理でいいね。
藤本 コメントの最後がグッときますね。
北村 これもいい賞だなあ。
出会いはいつも突然で賞(*他薦)
<受賞対象>
宮田さば太
<功績>
運命はいつも突然です。
劇団の宮田夫妻が小さな子猫を拾いました。
ほうっておけば間違いなく消えてしまう小さな命。
飼い主はどこだ?いない?なら里親を探さねば。いや、もういっそ、飼っちゃうか!
というわけで本番の準備が立て込んでいる大変忙しい中、引っ越しを決行しました。
11月15日の本番一週間後、11月22日にお引っ越し。まだ12月6日に本番が控えているのに。
おかげで演出、構成プラン、音響・照明の見直しの中で、引っ越し等の書類手続きをしなくてはならず、劇団所在地が代表(宮田家)の住所だったため、援助申請で用意していた劇団規約の改正・差し替えが発生。
演劇集団「宇宙水槽」を巻き込んだ運命の出会い。
そんな、カレの可愛さを称えて。
<受賞コメント>
「にゃー」
藤本 鹿児島の演劇集団「宇宙水槽」、おそらく代表の宮田さんからの他薦です。他薦っていうのかな。
北村 mola!賞、猫も受賞できるんだね。
藤本 ね。盲点でした。
北村 猫も受賞できる演劇の賞って日本初じゃない?
藤本 世界初かも。
ご無理ばかり申し上げたで賞
<受賞対象>
むりばかおじさん
<功績>
感染防止のため閉鎖になったぽんプラザが解除になってから初めての演劇の公演『無理ばっかり。』数々のご無理を、勇気と情熱で乗り越え、上演できましたので表彰します。企画から公演まで2週間足らず。演出上の工夫から電子チケットやロビーのことまで、今では当たり前になってきつつある感染対策も、試行錯誤でひとつひとつ吟味しととのえました。この情熱に賛同しついてきてくれた俳優・作家・スタッフ陣も讃えたいですが、まずはむりばかおじさんの「演劇は不要不急じゃねえ」の情熱あってこそ。本当に頑張りました。よってここに賞します。
<受賞コメント>
ありがとうございます。めがねがくもって途中から書いてあることが見えません。「不要不急」と言われて止めさせられて、こんなにも演劇が人生に必要だと感じたことはなかった、と、誰もが思ったこの2020年だったと思います。そしてキャスト、スタッフ、お客様が互いに配慮しあい、さまざまなご無理をおもしろがって乗り越え、助けあったからこそ、安全に公演ができたと思います。心から感謝申し上げます。
藤本 これはmola!で扱えていなかった、昨年9月に福岡市のぽんプラザホールで行われた『無理ばっかり。』という公演についてですね。企画・構成・演出を担当された「むりばかおじさん」からの自薦です。
北村 企画内容見たら、かなり豪華だね。これを9月にやったんだ。
藤本 なかなかすごいですよね。
北村 この賞が「mola!賞2020」の締めくくりに来ると、よかった感がすごいね。
藤本 途中エロい長文があったことをすっかり忘れられますね。
藤本 ということで、以上が「mola!賞2020」でした。受賞されたみなさん、おめでとうございました。
北村 おめでとうございました。そして、ご応募いただきありがとうございました。
藤本 本当に、ありがとうございました。こんな賞に……。
北村 mola!賞は、明日にでも潰れるかもしれないmola!か弊社が潰れない限りは続けていいんじゃない?
藤本 そうですね。今年の年末もやりましょう。
北村 まだまだ世界がどう転がっていくのかわからない状況ではありますが、来年の今ごろ、またユニークな活動などをmola!賞でお知らせいただけるとありがたいです。
藤本 mola!賞に応募された方もされなかった方も、すべての演劇に関わる方々のますますのご発展と、なによりもご健康をお祈りしております。
北村 また来年、元気に会いましょう!
【関連サイト】
荒木宏志(Twitter)
非・売れ線系ビーナス
大体2mm
演戯集団ばぁくう
(劇)池田商会
「無理ばっかり。」