やよひ住宅(第3回)

2021.02.18

 孤独もなにもかも、自分がいなくなれば消滅する。
 
 俺の中のさみしさも記憶も、俺が消えれば消滅する。欠片も残りはしない。なぜならそのもの自体が気配のようなものでしかないからだ。濃い気配は吐き出したとたんに薄まる。体の中にあるときは原液だったカルピスが、体のそとにでたとたん、1000倍に希釈されて噴霧されているような感じだ。そこにはあの白い色も懐かしい甘さも乳酸菌の気配もない。言葉に出したとたん、文字にしたとたん、違うものになる。気配は自分にしかわからない。やっかいな感情も自分以外の世界にとっては、ないに等しい。
 時生がくる日は隣の喜美枝さんから車を借りる。この町には駅がないので隣町の駅まで迎えに行く。車は亡くなった婚約者が乗っていたもので、喜美枝さん自身は運転免許を持っていないという。エンジンをかけて、ドッドッドという大きな音を聞くと車そのものが芯から生きている感じがする。気持ちの良い音だ。命を感じられる音というのは、本来こんなに清々しいものなのだと素直に思える。あるいは時生と過ごせる嬉しさがそう感じさせるのかもしれないが。
 カセットテープデッキにはテープが入ったままになっている。後部座席の籠に空っぽのケースが入っていて、青いマジックで「ナット・キング・コール」と書いてあった。喜美枝さんにとっては大切な面影のひとつだろう。勝手に聴くことはできない。

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