劇団ヒロシ軍旗揚げ10周年記念!(前編)荒木宏志×千田智士×渡邉享介対談
劇団ヒロシ軍(諫早)が十周年記念公演として第14回本公演『誰かのための立ち位置』(作・演出:荒木宏志)を7月15日(土)〜16日(日)、北九州市小倉北区の北九州劇術劇場 小劇場で上演する。
「劇トツ×20分」2017(※1)で優勝を果たし、5月には花まる学習会王子小劇場での東京公演を終え、いよいよ7月には北九州芸術劇場での十周年記念公演を行う劇団ヒロシ軍。劇団10周年を記念して、この記念すべき旗揚げ日に劇団ヒロシ軍の原点に迫るべく、旗揚げメンバーである座長の荒木宏志、千田智士、渡邉享介に話を聞いた。
―まずは、簡単な自己紹介と演劇を始めたきっかけを教えてください。
荒木 劇団ヒロシ軍座長の荒木宏志です。29歳です。演劇を始めたきっかけは、高校の部活紹介のときに、話していた演劇部の女の先輩に一目惚れして、即入部しました。それが演劇を始めたきっかけです。
千田 旗揚げメンバーの千田智士です。今は退団して会社員をやってます。僕は荒木と同級生で。演劇部って入る気さらさらなかったんですけど、なぜか、僕もいつの間にか入部することが勝手に決まってて(笑)、それが最初ですね。旗揚げから約4年在籍してましたね。
渡邉 エヌケースリードリームプロ(※2)代表の渡邉享介47歳です。私は20歳のときに急に役者になりたいと思い立って、20代は関西で演劇やってました。ヒロシ軍は旗揚げから6年目で休団し、現在は退団しています。
10年前の今日
―年代が違う3人の、出会いから旗揚げまでの経緯を教えてください。
荒木 18歳のときに、諫早で市民参加舞台(※3)があったんですね。その作・演出を渡邉さんがやってて。オーディションを、当時僕が大好きだった演劇部の後輩の女の子が受けるというので、それについていったら、なぜか僕が主役になってしまったという出会いですね。
渡邉 ヒロシの最初の印象は「ド下手やな」って思った(笑)。
荒木 渡邉さん、1シーンを2時間とか稽古させましたよね。
千田 僕はこの舞台には出てないんですけど、稽古には顔を出してて、そこで渡邉さんと知り合った感じですね。
荒木 その舞台が終わったあとはしばらく演劇してなかったんですけど、高校演劇部の後輩たちが演技してる姿を見たときに、「またやりたいな」と思って。千田が「俺たちで劇団つくろうよ」って言ってきて、「じゃあ脚本書くわ」ってなって書いたのが、ヒロシ軍の旗揚げ作品の『雨の蝉』(※4)。でも、俺ら公演をするっていっても全然やりかたがわからないから、渡邉さんに相談して『雨の蝉』の脚本を見せたら、渡邉さんから「ぜひ演出させてほしい」ということになり、それがきっかけで3人で旗揚げすることになったんです。
渡邉 それで、2007年6月16日。諌早文化会館中ホールで旗揚げ公演をしたんだよね。
荒木 はい。19歳でした。
10年で変わったこと変わらないこと
―この10年間を振り返ってみての感じることなどありましたら、教えていただけますか?
荒木 旗揚げしたときから「長崎を拠点に全国を回れる劇団になりたい」と思っていました。でも、今思えば俺ほんとにひどいやつでした。稽古も彼女とのデートでずる休みするし。
渡邉 当時、誰がいちばん一生懸命やってたかって、俺がいちばん一生懸命やってたな(笑)。
荒木 旗揚げから10年たって、今になって気付いたのは、渡邉さんの大変さ。旗揚げのときは渡邉さんがほとんど全てやってた。脚色・演出・出演・制作から舞台のことまで。俺らはただ舞台に立つだけ。あとは、いま劇団員にさっちゃん(中村幸)がいますけど、さっちゃんは19歳のときにヒロシ軍に入団してきて。ちょうど旗揚げのときの僕といっしょの年齢なんですよね。何かあったときに、渡邉さんってこういう気持ちだったのかなって最近よく思いますね。
渡邉 当時は「自分が若いときにそういう風にしてくれるひとがいたらよかったな」という思いで関わってたね。20代で演劇をある程度やりつくして関西から帰ってきて、落ち着いたとこだったんだけど、ヒロシ軍と出会ってしまって人生が変わってしまった(笑)。ヒロシの才能に惚れ込んだという感じ。「とりあえず俺が全部してやるけん!」って話をしたね。「度肝を抜く」芝居を作りたくて、やってたな。
千田 まあ、プロデューサーみたいな感じでしたよね。
―「長崎拠点で全国を回りたい」という気持ちはどこから生まれてきたものですか?
荒木 みんなまず「長崎じゃ無理」って言う。それを変えたいなという意識はあります。旗揚げ当時にリスペクトしていたミュージシャンがいて、そのひとから「長崎で売れなかったら、他に行っても売れないよ。まず長崎でナンバーワンにならないと」と言われたのに心打たれて。そこは今も変わらないですね。長崎の、しかも諫早を拠点にしてるんですが、諫早にある劇団って片手で数えられる少なさ。普通だったら若手の同期がいて、競りあった中で高めあっていくんだと思う。でも諌早って演劇の文化がほぼ何もない。言ってみれば、アフリカの原野みたいなもの。そういう環境でよくやってこれたなと自分でも思いますね。
千田 僕は、お笑いをやりたくてヒロシ軍を辞めて一度都会に出たんですけど、都会ってバンドやらお笑いやら、やりたいひとがいっぱい集まってくる。だから30超えてやってても、珍しくも何ともない。申し訳なさもそんなない。でも荒木は、実家住まいで、地元の友達とかにも会うし。いちばん苦しいと思う。「ほんとにやりたいなら東京行けば」って絶対言われるじゃないですか。その中で10年やったというのはすごいなと思いますね。地元で夢を追いかけ続ける方が、都会に出るより難しいと思うんですよね。
荒木 29歳になって、同級生たちから最近やたらと応援メッセージがくるんですよね。「今でもがんばってる荒木をみるとすごい元気もらえる」って。そう言われたら、逆に泣きそうになる。19歳で劇団立ち上げたときは、みんな最初は若いから夢に向かってがんばれるんだろうと思ってた、と。でもそれから10年たって、30歳目前になれば、みんな結婚したり、仕事してたりしていて、若いときの夢を追えなくなる。そんななかで、俺が、夢に向かってがんばってるってことにみんな共感したり、応援してくれたりしてくれてるのかなあって思うんです。
渡邉 長崎でがんばってることを美化するけど、俺はそうは思わん。長崎でもやれるんだってのをすごく力をいれて言うけど、長崎でやれるんなら、東京に行ってたらもっとすごいことになってたんじゃないとか思うし。もちろん長崎で全力でやるのは、いいことだと思う。でも、これだけ気持ちを持ってやれるんなら、東京に行ったって、全力でやっただろうしね。その都会での10年間のいろいろな経験と、長崎拠点の10年間の経験を比べたときにどっちがいいかは、正直、俺はわからんなって思う。
荒木 でもこれだけは、はっきり言えます。東京に行ったよりもここに残ったからこそ場数的にいえば、尋常じゃないくらい舞台に立つってことができたと思う。
渡邉 いやいや、都会はもっとあるでしょ。現場はね。俺にはよくわからないこだわりがヒロシにはあって。そのよくわからないこだわりを大切にするというのは、感覚的に生きてるひとだからいいとは思うんだけどさ。
荒木 千田が東京に行ったのって、テレビに出たいとか有名になりたいとかだと思うけど、俺はそれは一切ない。有名じゃなくてもテレビに出なくても、舞台さえ踏み続けられたらそれでいい。もちろんそれで収入がないといけないとは思うけど。メディアとか一切興味はないんだよね。
千田 でも、収入をある程度得たいなら、ある程度メディアに出て、「あの有名なひとが舞台に出るから観に行ってみよう」っていう方向になるんじゃないの?
荒木 今となってはそう思う。
渡邉 彼が長崎にいる理由は彼自身もうまく説明できないと思うな。
荒木 …….たぶん悔しいんだと思う。引くに引けないところもあると思う。あと、みんなといっしょが嫌ってのもある。むかしからみんなといっしょは嫌なんですよね。みんなが都会に行くなら、俺は長崎に残るっていう思いがある。こだわりというか、頑固というか。
千田 まあでも、それがあったからやってこれたんだろうね。
荒木 演劇を続けるってことに対しても頑固で。ほんと自分でも、よくわかんなくて。そこまで苦しくてもやる? みたいな。なんでこんなに苦しんで演劇やってるんだろうと思うときもありますね。
10年後、そして
ー10年後、劇団ヒロシ軍はどうなっていると思いますか? 今後の展望について、それぞれの想いをお聞かせください。
渡邉 10年後。劇団ヒロシ軍の荒木宏志というのはそこそこいけてるんじゃないのか。最低でも、長崎出身の荒木宏志という役者がいるってのを、長崎人は当たり前に知ってるぐらいにはなってるんじゃないかな。
千田 僕は、お笑いを目指して都会に出て、諦めて去年長崎に帰ってきて、いまきちんと自分と向き合っていて、新しい夢に向かっています。これから、僕は劇団員じゃないけど、ずっと荒木の親友として支えて行きたいな。渡邉さんと荒木と3人でこうやって話すのがいちばん楽しい。いい意味で10年後も変わらずにいたいと思いますね。
荒木 僕は、常に最高傑作を生み出したい。そして、演劇で食べていく。全国回りたい。そこはこれからも変わらないですね。
10年前、19歳の若者の心に灯った「長崎を拠点に全国を回れる劇団になりたい」という小さな想いはいま、10年の時を経て、少しずつ形になりつつある。劇団ヒロシ軍のモットーである「情熱・青春・衝撃」を大事に、いい大人が大人気なく青春を声高く叫ぶ、そんな芝居をこれからも作り続けてほしいと感じた。北九州公演に向けてのクラウドファンディングも早々に目標額を達成し、不思議と九州の仲間たちから愛される劇団ヒロシ軍。その「愛される力」は、なんなのだろうか? そこには、演劇や音楽といった表現を超えて、ひとの心を掴むなにかがあるのかもしれない。表現者としては未知数という言葉が強く感じられるなかで、ここから、「劇団ヒロシ軍」というオリジナルな何かを確立させていく、そんなこれからの10年に期待したい。
(インタビュー・執筆:寺井よしみ)
(※1)「劇トツ×20分」2017
北九州芸術劇場にて、九州各地から集まった5団体が短編作品を競い合う催し。今年は、2017年3月に開催された。優勝団体には、北九州芸術劇場小劇場での上演権が贈られる。
(※2)エヌケースリードリームプロ
長崎県諫早市を拠点として、「演劇で社会貢献」を掲げる演劇制作団体。諫早市民参加舞台の製作やコミュニケーション講座などを主な事業にしている。関連劇団として「劇団ヒロシ軍」、「子供劇団ホーリーゴースト」、関連劇場として「諌早独楽劇場」がある。
(※3)市民参加舞台
2006年4月「いさはやつつじ祭り」の一環として、諌早観光協会(現・諌早観光コンベンション協会)主催で行われた市民参加劇『Dream~あの花の咲く、青い夜に』(作・演出:渡邉享介)。諌早市民約30名が参加した。
(※4)雨の蝉
劇団ヒロシ軍の旗揚げ作品。生まれてからずっとひきこもっていた孤独な青年が、初めて外の世界へ出る。初めての世界と初めての幸せ。青年の選んだ幸せな選択とは……。蝉の一生に謎かけた、ある青年の1週間の物語。
劇団ヒロシ軍 第14回本公演 十周年記念公演『誰かのための立ち位置』
作・演出:荒木宏志
日時:2017年7月15日(土)14:00/19:00
16日(日)14:00
会場:北九州芸術劇場 小劇場(北九州市小倉北区室町1-1-1-116F)
料金:一般2,500円(当日3,000円)
高校生以下1,000円(当日1,500円)
リピーター価格1,000円
【関連サイト】
劇団ヒロシ軍
劇団ヒロシ軍(Facebook)ページ
劇団ヒロシ軍(Twitter)
※情報は変わる場合がございます。正式な公演情報は公式サイトでご確認ください。