車の歌(第1回)
車の歌 藤原達郎
和田哲二は渋滞に巻き込まれていた。
週末のO駅前は例外なく混む。車線はすべて埋まり、自転車ならまだしも、歩行者にも抜き去られる始末だった。抜け道のあてもない。そもそも和田は車の運転が下手だ。信号のない細い道より、混む大通りを選ぶ。そういう意味では、渋滞に巻き込まれた、というのは正しくなく、自ら率先してその一部と化した。
O県に越して来て1ヶ月が経とうとしていた。F県に工場をかまえる印刷会社に勤めており、O県のスーパーのチラシなども刷っていた。O支店にはもともと別の営業部員がいたのだが、繁忙期である12月に新婚旅行に行こうとして部長と揉め、強行したはいいが冬のボーナスを大幅に減額されて腹を立てて辞めた。
和田は仕事を転々としていた。飽きっぽく、長続きしなかった。大学を中退して最初に入った会社は2週間で辞めた。なるべく楽して、なるべくたくさん稼ぎたいと思っていた。贅沢は言わない。月20万、いや25万でいい。やっぱ30万ほしい。50万あれば言うことない。もっとあるに越したことはない。あの時Bットコイン買っときゃ今頃……。
今の会社にも中途採用で入社した。営業職の給料が一番高かったから希望した。研修期間の給料は月13万だった。マジかよクソが死ね俺以外全員、と思った。そしてようやく研修を終え、まだ右も左もよくわかっていない中、年明け早々にO支店への転勤を命ぜられた。なぜO県で撒くチラシをF県で刷るのか、和田にはよくわからなかったが、別にどうでもよく、断って待遇が悪くなるのもあれなので、嫌々ながら引き受けた。きつけりゃまた辞めりゃいい。
営業車であるHンダのFィットは17万キロ以上走っている。エアコンは壊れており、和田はスーツの上からジャンパーを着ていた。ダッシュボードには和田のものではないAikoのアルバムがケースだけ入っていた。ディスクは反応しなくなったオーディオの中に取り残されているのだろうと思った。時計は4時半を示し、この時計は27分遅れているため、もうすぐ5時だった。
左折して渋滞をそれたFィットはとろとろと線路をまたぎ、駅の西側へ出た。コンテナを改装したカラオケボックスや、のれんの色褪せた酒屋など、古臭い町並みが残り、賑やかな東側と比べて西側は閑散としている。良く言えばなつかしく、普通に言って廃れていた。和田は月極の駐車場に車を停めた。駐車もやはり下手で、枠線からけっこうはみ出たが良しとした。線路沿いの雑居ビルの二階が、和田の勤める会社の事務所だった。