車の歌(第1回)
「和田くん、この後もう一件、打ち合わせに行ってもらえますかね?」
ため息をつく和田の背中に小野が言った。
「あ、はい」
「ありがとうございます」
「え、何がですか?」
「『ころぼっくる』っていう店、覚えてますかね?」
「あ、はい」
「『ころぼっくる』の店長に、原稿を渡して来てほしいんですがね」
「そうなんで……え、この後ですか?」
「はい」
「もう5時過ぎてますけど」
「お願いしますね」
「え、どこですか?」
「『ころぼっくる』っていう店、覚えてますかね?」
「ころぼっくる」は、O県でチェーン展開する和菓子屋で、バンザイした小人の看板が目印だった。和田は派遣されたばかりの頃、小野と一緒に挨拶に行ったのを思い出した。「あ、はい、一応覚えてます」
「『ころぼっくる』の店長に、これ、持って行って欲しいんですがね」
堂々巡りを繰り返しながら、小野は手書きの原稿を差し出した。ゴールデンウィークに開催されるセールのチラシのようで、落書きみたいなこいのぼりから吹き出しが出、「こどもの日 大セール」「ほっぺたが落ちました(こいのぼりなのに笑)」「ちまきうまし」「『あんはさうぇい』がこのお値段!」などと汚い字でひょろひょろ書かれていた。
「『あんはさうぇい』って何です?」
「かしわ餅」
「へえ」
「名物ですがね」
「へえ」
「私が行ければよかったんですがね、あいにく今日は都合が悪くてですね。週末でしょう? 娘が孫を連れてご飯を食べに来るんですがね、妻が早く帰ってこいってうるさくてね。すみませんが、よろしくお願いしますね」
「あぁ……」と、しぶしぶ和田は原稿を受け取った。てめえの都合なんざ知らねえよ、と脳内で原稿を破り捨て燃やした。
週末だからと言って、和田にこれといった予定はない。金があれば女のおっぱいとか揉める店に行くが、今なかった。O県には知り合いもいない。帰ってテレビを見ながら飯を食って寝るだけだった。帰ってテレビ見ながら飯食って寝るのを邪魔されたことにイラついた。脱いだばかりのジャンパーを着て、「あ、じゃあ」と、不機嫌さを隠さずにドアをバンと締めた。天井裏ではその音に驚いたネズミの群れがドタドタ駆け回り、小野の頭上に言葉では正確に表現できないカスのようなものをパラパラ落とし、チュウチュウ鳴いてガンガン交尾した。