車の歌(第2回)

2021.02.12

 再び外に出るとすっかり暗くなり、外灯の照っていない場所は何も見えず、空気の冷たさが一層増したように和田は感じた。カモは先ほどと同じ場所で痙攣していた。し過ぎて残像が見えるほどの痙攣で、逆にもう元気なんじゃないかと思える運動量だった。
「あぁ、はい、はい、なるほど、なるほど」カモの前にしゃがんでじいさんが言った。
「どうですか?」
「なるほど、ね、うん、うん、なるほど、なるほど」
「どうですか?」
「はい、はい、こういうことか。ここんとこが、こんな風に、こうなってて、そんでこっちが、こういう具合で、こういうことね」
「大丈夫ですか?」
「えぇ、まあ、大丈夫か、大丈夫じゃないかで言うと、大丈夫じゃない寄りの、大丈夫じゃない状態ですけど、しかし、病院に来る動物っていうのは、大抵、大丈夫じゃない状態なわけで、大丈夫なのに病院に来られても、こっちとしては何もすることがないわけで、大丈夫じゃない動物に、大丈夫じゃないなりに何かするのが、こっちの仕事なわけで」
「つまり、どうなんですか?」
「何かしましょう」
 じいさんは白衣のポケットから何かを取り出し、何かした。カモの痙攣が止まった。というより、スイッチを切ったように動かなくなった。何で何をしたのか、和田からは見えなかったが、医者の「何かする」って、そういうことじゃないよね、と思った。
「神楽坂くん」というじいさんの呼びかけに応じ、看護師は大きめの黒いビニール袋を取り出すと、動かなくなったカモを袋の中に入れて口を縛り、「ふんっ」という掛け声とともに、病院の壁に三度、ビニール袋を叩きつけた。叩きつけるたびに、「ぐしゃ」だとか「めきょ」だとか「もけ」といった音がしたが、和田にできるのはただそれを見て聞くことだけだった。
 神楽坂と呼ばれた看護師はもう一度「ふんっ」とビニール袋を叩きつけ、様子を見、「ほれ」と、その袋を和田に差し出した。
「え、これ……え?」
「ほれ」
「え、うわあ、これ、もらえるんですか?」
「あなたの患畜でしょう?」
 じいさんが、何やら手についた液体を白衣でぬぐいながら言った。
「いや……」
「ちがうの?」
「ちがいます」
「ちがわねえだろ!」
 神楽坂は再度、和田の胸ぐらを掴んだ。
「いや、はい、そうです、すいません、うわ、やったあ」と、コンマ2秒プラス超早口で言った。
「それをですね、うん、そうだな、となりのソバ屋にでも持って行ってください」
 じいさんが言った。白衣は赤黒く汚れていた。
「え、ソバ屋ですか?」
「ソバ屋です。大丈夫じゃないなりに何かしてくれると思いますんで」
「ソバ屋がですか?」
「ソバ屋です。じゃあ、一万円」
「えへ、金取るんですか?」
「当たり前ですよ。私医者だよ? 商売でやってんだから」
「あ、じゃあ……」和田は胸ぐらを掴まれたまま、一万円を神楽坂に差し出した。所持金が二千円になった。客観的に見れば恐喝だったが、残念なことに出歩いている者はなかった。失敗パーマのおばちゃんの姿もすでに見えない。神楽坂は胸ぐらから手を離して一万円を受け取り、引き換えにビニール袋を和田に渡した。「じゃ、お大事に」と、じいさんと神楽坂は病院に戻って行った。
 和田は「あ、どうも、あざーす」と、黒いビニール袋を持って二人を見送った。お大事にも何も……と袋を見た。ずしっと重く、微動だにしなかった。そして一万円を惜しんだ。持ち歩くのもあれだな、と思ったので、言われた通り、となりのソバ屋に向かった。

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