車の歌(第3回)

2021.02.13

 入店音とジャズもそうだが、変におしゃれな間接照明や、相撲の番付と同じ書体のお品書きなど、すべてがミスマッチで、それぞれの持ち味を台無しにしていた。カモ南蛮ができるまでの時間をつぶすため、和田はスマホを取り出した。不在着信が3件入っており、全部小野の携帯電話からだったので無視した。それから、カモのつぶやきバズってねえかな、とTイッターをチェックした所、「最低です」「カモかわいそう」「品性を疑う」「お前が轢かれろ」「タヒね」などと軽く炎上していた。バズってはいた。うるせえボケ、とやはり無視してMンストで遊んだ。
 ダミ声が「だばだばだー」とスキャットした。カモ南蛮の準備なのか、食器と食器のぶつかり合う音や、皿の割れる音、シンクに水をものすごい勢いで出す音、4~5名のどたどた行き交う足音、「こんにゃろ!」「やりやがったな!」といった怒声、皿の割れる音、「そこ、ビスで揉んどいて」とインパクトドライバーで何かに何かを固定する音が聞こえたが、すべて湯気で見えなかった。あと、誰もいないと思っていた奥の便所から水洗の音がし、ドアが開いて女が出てきた。ボディラインのくっきりわかるニットのワンピースを着ており、どうしても胸部に目が行った。和田は女を意識し、Mンストをやめた。
 女も和田に気づいたようで、薄く紅をさした唇がつり上がった。そしてウェーブのかかった長い髪をなびかせ、ヒールを鳴らして女は和田の隣に座った。ちょうど湯気で目元だけ見えなかった。
「お酌してくださらない?」
 女はおちょこを差し出した。いつからあったのか、女の前に熱燗が出ていた。
「あ、はい、もちろん」
 和田は応じ、徳利を持った。手が震え、徳利とおちょこが触れ合ってかちゃかちゃ鳴った。女はふふと笑い、酒を飲んだ。和田も曖昧に笑い返した。どぎまぎしていた。普段「女ほしい」「セックスしてえ」などと息巻いているが、いざ女性を前にするとどう振る舞って良いかわからず、人見知りを発揮し、しどろもどろになった。イキリ素人童貞、それが和田であった。
「そんなに緊張しちゃって。あなたも一杯いかが?」
 女がおちょこを和田に握らせた。
「いや、自分、まだ仕事中で……」
「あら、ブラック企業?」
「ブラック中のブラックですよ、はは……」
 和田は話を盛った。印刷業にはブラックな印象がつきまとうが、労基が目を光らせているため、ここ二、三年で環境は大きく変わり、漆黒 → 闇 → 濃いブラック → いわゆるブラック → ブラック → 濃いグレー → まあグレー → どっちかって言うとグレー → グレー → 薄いグレー → 四捨五入したらホワイト → これホワイト? → ホワイトかな → もうホワイト → ほぼホワイト → ほぼほぼホワイトと、グラデーションを描くように状況は改善されて行った。つまり、たいしたことなかった。

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