車の歌(第3回)
「大変ね。じゃあ、ちょっとだけ」女はおちょこに酒を注いだ。注がれたものを断るわけにもいかず、「じゃあ、まあ、一杯だけ」と和田も受けて飲んだ。喉がかっと熱くなった。「あぁ、効きますね。あったまります」「そうでしょう? もう一杯いかが?」「あ、じゃあもう一杯だけ」などと都合三杯飲み、いい感じに酔って気が大きくなった。「そう、リラックスして、もっと肩の力を抜きなさい」と女は和田の肩を揺すった。目元は相変わらず湯気が覆っていた。
慌ただしかった厨房は打って変わり、「あ、やっべ……」「これ、大丈夫か?」「食える?」「食おうと思えば食えるだろ……」などとぼそぼそした相談が漏れ聞こえてきた。「あの、俺のソバまだなんだけど」と和田が言うと、「あ、えっと、そうですね、もう少々、お待ちください」と、釈然としない返事が返ってきた。瞬時に和田は、厨房内に自分と似た者の存在を感じ取った。小野の時と同じく、そっち方面のアンテナは異常なほど敏感だった。レコードは針飛びを起こし、同じ所をループしていた。
「あなた、肩が凝ってるわ」
「まあ、ブラック中のブラック中のブラックなんで、へへ……」
「あたし、そっち系のあれだから、うちのお店へいらっしゃい。すぐそこなの。ほぐしてあげる」と女は言い、立ち上がった。
「今からですか? 俺、まだソバ食ってなくて……」
「おみやにしてもらえばいいじゃない。店員さん、この方のおソバ、持ち帰りにしてちょうだい」
「あ、はい喜んで……」という消え入りそうな声とともに、長い腕がにゅっと厨房から伸び、テイクアウト用のプラスチックの容器に入ったカモ南蛮を置いた。「お会計はご一緒で?」
「ええ」
当たり前のように女は答えた。あ、やっぱりそうなんですねと和田は思ったが、気が大きくなっていたので黙って財布を取り出した。
「えっと……じゃあ4980円です」
「じゃあ?」
「いや、1800円です」
「お願いね」
「あ、はい」和田は二千円を出した。所持金が二百円になった。「あ、けど俺、もう金が……」
「大丈夫よ。うちの店カード使えるから。行きましょう」
女はコートを羽織り、和田の腕をとった。促されるがまま和田も立ち上がり、「行っちゃいますか!」とテイクアウトのカモ南蛮を持ってソバ屋を出た。遅れて「ありがとうございま。」と言った店員の挨拶は誰の耳にも入ることなく、無駄に空気を振動させて消えた。レコードは本格的に壊れたのか、回転速度が落ち、低いゴボゴボした音が出るのみだった。