やよひ住宅(第1回)
やよひ住宅 島田佳代
よし子は空き地に立っていた。
春はまだ遠く「売物件」の幟旗が風になびくのとよし子がマフラーに顎を埋める動作が連動している。木の杭とトラロープで包囲された土地は建物が乗っかっていた時の印象より狭い。
持参したタタミ一畳ほどのレジャーシートを目当ての場所に敷き、よし子は靴を脱いで上がった。正座したら臑に石ころが当たった。正座はよして体育座りにした。バッグから膝掛けと水筒を取り出す。役場のサイレンが鳴った。午後五時。おなかと太股の間からつま先まで膝掛けで覆い、花も葉もないソメイヨシノを眺めながらコーヒーをすすったら熱すぎた。振り返ると瓦礫と建具がそれぞれボタ山のように積まれているのが見えた。舌がひりひりした。
この場所でよし子の叔母は生きていた。正確にはこの場所に叔母と猫、そして絵を描く男が住む集合住宅が建っていた。やよひ住宅という名前だった。敷地の入り口に大きなソメイヨシノが植えられた木造の、長屋に近いような住宅だった。屋根はところどころ崩れて瓦は波打っていたし、網戸もやぶれかぶれで、空き家は入り口に木材が打ち付けてあったりした。壁には葛がからまり、夏が来ると濃い緑の葉が伸び放題になっている枇杷の木に収穫されることのない黄橙色の実が垂れ下がっていた。時折くすんだ色した小鳥の群がやってきては実を食い散らかし、またどこかへ飛び立つ。青い網戸に覆われた磨り硝子の向こうに永遠に使われることのない鍋や笊の影がみえた。三棟ずつ三列、九棟の住宅だったけれど、叔母と猫、そして絵を描く男がそれぞれ暮らす二つの家以外はぜんぶそんな風だった。ソメイヨシノだけが見事で、黄昏る住宅を見守る健やかな姿が目にしみた。
少しずつ日は傾いていく。青と朱がグラデーションになった遠くの空にゆるやかな稜線が映える。交差する電線の隙間に細い月が小さく見えた。
背後で「羽水(うすい)さん?」と声がした。
振り返ると、見憶えのあるひょろ長い影が近づいてきた。