やよひ住宅(第1回)
近所で羽水さんを見かけるのは二回目だった。
最初に見たのはやよひ住宅の解体工事がはじまってすぐだったので、先月のはじめだったと思う。羽水さんは仕事帰りらしく、見慣れたコートを羽織っていた。両手をポケットに突っ込み、道路脇にとめた車にもたれるようにして、淡々と破壊行為を進めていく重機を見つめていた。
自分は缶詰を製造する工場の出荷部で働いている。週三回、隣の町にある配送センターへ製品を送るときに、いろんな書類を一緒のトラックに乗せるんだけどそれを持ってくるのが総務の羽水さんという女性で、なんの話の流れだったかは忘れたけど、同僚の矢部くんが同期入社だと言っていた。自分は矢部くんと同い年だから、羽水さんともたぶん同じってことになる。年上かと思ってたのに違った。
羽水さんはあまり笑わない。いつも「おつかれさまですお願いします。」と言って、書類で膨らんだジッパー付きの袋を置いて音も立てずに去っていく。羽水さんの愛車は空冷のフォルクスワーゲン・ビートルだ。しかも白で、父が乗っていた車ほどではないけれどボロくて、会社の駐車場に止まっているのを初めて見たとき心臓が痛くなった。ドッドッドってエンジン音がするビートル。自分にとっては胸を甘く締め付ける車だけれど、羽水さんと駐車場で一緒になってもそんな話は一切しない。交わす挨拶はいつでも「おつかれさまです」一択だ。
今日の羽水さんはやよひ住宅跡地に侵入して、桜の下に座り込んでいた。祝日で会社は休みだ。きつい夕焼けで、体感温度はかなり低かった。
「羽水さん?」と声をかけたら羽水さんは振り返った。ひざかけが滑り落ちたように見えた。
「おつかれさまです」
羽水さんは立ち上がると、少々困惑した様子でうっすら会釈した。
「・・・あの、別につかれてないですよ今日休みだし。こんにちはとかでいいと思います。」
「とか?」
「・・・」
「こんにちはとか、の「とか」っていうのは、」
「こんにちはとかこんばんはとかどうもどうもとか」
「どうもどうもなにしてるんですか?花見ですか?花ないけど」
「・・・ちょっと。」