やよひ住宅(第4回)
学校が五時限で終わる日、わたしは内緒でよく叔母の家へ寄り道した。
叔母は銭湯で働いていた。午前中に二時間ほど掃除をしに行き、夕方六時から夜十時まで番台に座っていた。
叔母が暮らすやよひ住宅は通学路の途中から少し逸れた所にあり、小学校からは3キロほどの道のりだった。用水路伝いにしばらく歩き、左に折れて食料品店とクリーニング屋とタタミ屋の前を通り、横断歩道を渡ってまっすぐ進む。お寺と交番を過ぎて、田んぼを横目にまた進み、たばこ屋の角を右に曲がると道が少し細くなり、先の方にソメイヨシノの枝が見えてくる。
入り口の脇にねこぶの黒い影がちらっと見えた気がして、わたしは走った。振動で帽子が後ろに脱げて、首がゴムに引っ張られた。弾む足取りをたしなめるように、ランドセルの中で教科書がコトコト揺れた。
「ねこぶー」
と呼びながら住宅の敷地に入ると、ねこぶはソメイヨシノの下にとめられたビートルのボンネットに乗っていた。
「ねこぶ、おいで。」
わたしはねこぶに近づいた。ねこぶはヒャアアだかヒヒヒヒーだか表現しづらい奇妙な声で鳴く。その日も囁くような小声で妙な鳴き方をして、ボンネットから軽やかに飛び降り、住宅の裏側の方へ走り出した。わたしは帽子をかぶり直し、気合を入れてねこぶの後を追ったけれど、叔母の家のプロパンガス置き場を過ぎて、隣の家の裏側に差し掛かったあたりで一瞬目を離してしまい、見失った。春はもう少し先だったが、額や背中が汗ばんでいた。
「ねこぶ、こっちにいるよ。」
びくっとして振り返ると、タオルを数枚持った磯辺さんが住宅の隙間から手招きしていた。住宅の裏手は北側の日陰で、タオルはなんだか青白く、磯辺さんの顔色も悪く見えた。磯辺さんは叔母の家の隣にひとりで住んでいて、夏に見かけたときもいつも長袖を着ているのが珍しく、わたしは少しだけ警戒していた。行こうかどうか迷っていると、ねこぶのあの変な鳴き声が聞こえた。
磯辺さんはこっちだよ、というように笑顔で表の方を指さして、隙間へ消えていった。わたしは恐る恐る後に続いた。