やよひ住宅(最終回)
2021.02.20
俺はマフラーを受け取って膝にかけた。さっきまで羽水さんの首に巻かれていたマフラー。羽水さんが顎を埋めていたマフラー。
「暖かいですね。」
「あるのとないのとじゃ全然違いますよ。」
「確かに。」
時折通る車のライトが羽水さんの顔を照らしているはずだったけど、斜め前に座っているせいでその表情は一切見えない。
「あんまり、近づかないようにしてたんだけど。」と羽水さんは呟いた。
「ん?」
「ここ。わたし地元だし、すぐ近くなんだけど。」
「ああ・・・なんで?ですか?」
「好きなものに近づけないんですよわたし。好きっていうか、思い入れのあるものとか場所とか、もう自分では取り戻せない、時間、みたいなものに。」
「んー、それはたぶんきつい。」
「わかります?」
「いやわかんないけど。」
「でしょうね。なんかわたしとはタイプ違いますもん、夏目さんは。」
「俺に限らずみんな違いますよ。それぞれ。」
「まあ、そうですけど・・・」
「俺は近づきたいものには近づく方針なんで。」
「方針。」
「人生の。だからここにきたし。」
「ここ?」
「この町。この、場所。」
「・・・なんかあるんですか?ここ?」
「父親が住んでたんです、やよひ住宅に。もう死んだけど。」
俺は羽水さんの表情を見たかった。
羽水、名前は、そうだ、羽水よし子さんだった。
やよひ住宅では一度も会うことがなかったよし子ちゃんだった。俺は今も、よし子ちゃんの顔が見えない場所にいる。