咀嚼伯爵(第3回)
【15】さみだれ流れ星
それ以来、シフトが同じときは、しばしば自転車置き場まで一緒に歩いた。
6月、梅雨入り。強い雨の降る夕方、
「きょうもチャリ?」
「いえ、歩きです。」
しまった。嘘でもチャリだって言えばよかった。
「時間ある?」
え。
「しゃべらない?どっかで。」
うっそ~ん!
ありがとうございます!
誰だかわからないものに大声でお礼を言った。心で。
商店街のカフェ、人通りの見える窓際に座る。
「わ、うまそう!食う?」
“夏のオススメ!ベリーベリーパンケーキ”
テーブルの上に「いかにも」なポップが立ててあった。
「いや、甘いものは…」
「そう?」
魅惑的な写真のビジュアルに気付いた伯爵が眠りから覚めかけた。
慌てて意識を先輩に集中させた。
「お眠り下さい、伯爵様。」
伯爵は再びふかふかのパンケーキのベッドに伏せた。イメージ。
ロッピョウ先輩は演劇をやっていると言う。
「劇団??」
「うん。」
「店の人たち、知りませんよね?」
「あぁ…てか、若い人向けの劇だから。」
え?
「見に来てもらってもきっと、わかんない、って言われるから。」
先輩は少し困ったように笑った。
「劇団名、何て言うんですか?」
「えー。見に来る?」
「内容によりますけど。何か、白塗りして踊るみたいなのはちょっと。」
「あはは!いや、白塗りもおもしろいんだよ。でもうちはフツーの、何ていうの、サブカル漫画みたいな劇。あ、そうだ、これ。」
先輩はくたくたのエコバッグから名刺入れを取り出し、一枚差し出した。
劇団ロッピョウ。…ロッピョウ?
「すごい自信ですよね。」
「何が?」
「自分の名前を劇団に。」
「いや、違うんだよ、」
先輩はお世辞にもイケメンとは言えない。
身長は私と変わらないくらいだし、がっちりしてるからずんぐりむっくりだし。
でも強い目力と、無駄にキレイな歯並びが、何とも爽やかな生命力を醸している。
「候補はいっぱいあったの。カッコいいのとかウケ狙いとか。で、メンバーで投票したらこれが。」
「当選?」
「うん、それも6票で。」
「メンバー何人なんですか?」
「7人。俺以外皆これに入れて。」
「俺は、何に入れたんですか?」
「さみだれ流れ星。」
「は?」
「カッコよくない?劇団さみだれ流れ星。なんかシャーッて流れてる感じで。」
「こっちでよかったと強く思います。」
幼少時から高3まで野球漬けだったという先輩。
「でも、どんなに待ってもスカウトなんか来ない。プロにはなれないんだなぁ…と思って、」
「て?」
「旅に出た。大学合格して、入学式までのひと月半。旅って言っても親戚とか転校してった友達とかの家を泊まり歩いただけなんだけどね。」
私の、食べて吐いてを繰り返したひと月半とは大違いだ、と思った。
転校した友達が泊まらせてくれるっていう関係もすごいなと思った。
「で、そのとき宮城県で見た芝居が衝撃的でさ、」
先輩の目力が更に増した。
「ブリーフ一丁の男たちが走り回るだけの演劇で、正直内容なんて全然覚えてないんだけどさ、爆笑した後に涙が止まらなくなってさ、」
なんだそれ。
「なんかさ、一緒だったんだよ、俺の中の野球とさ。」
なんだそれ。
いいなぁ。