咀嚼伯爵(第4回)
【19】伝票
「台本、脱稿!」
きっかり二週間後、先輩は帰って来た。
黒糖かりんとうくらい真っ黒だった。白い歯だけがますます目立っていた。
会いたかった。でも会いたい自分ではなかった。
むくんだ目元を隠すためにメガネをかけて行った。
「読む?チェックする?」
「いや、いいです。」
「でも、」
口が勝手にペラペラ喋りだした。
「先輩が考えたことは、もう先輩のものだから、」
「……」
「だから、大丈夫です。」
「稽古場、来る?」
「いいです。」
「怒ってる?」
え?
「なんか、怒ってる?」
ほんとだ。怒ってる。
「なんで?」
なんで?自分で自分に問いかけた。いかん、いかんぞ。
「いや、全然そんなことないです。てかどうだったんですか、種子島。」
せいいっぱいのエンジンをふかして切り替えた。
「それがね、」
「亀の手」という貝を食べた話、
ウミガメの産卵を明け方まで見ていた話、
屋久島の鹿が種子島まで泳いで来る話。
眩しい。
何もかも筋肉。
「てかサトウキビ齧ったことある?」
「いえ。」
「硬(か)ったい皮剥いてね、ガリガリ齧ると薄甘い汁が出て来るの。
大して旨いもんじゃないはずなのに、炎天下で齧るとすっげぇ甘いの」
「へぇ。」
「それでね、」
「なんか」
「え。」
「なんか、きょう無理です。すいません、帰ります。」
先輩は文字通り鳩が豆食ったような顔をしていた。
「ごめん。やっぱ嫌だった?」
え。
「台本に使われるの、嫌だった?」
「それはないです。本当にないです。」
ないです。
「てか使って欲しいです。あんな話でも使ってもらえるなら光栄です。」
です。
「でもきょうはすいません!また!是非!また!」
相手をおいてきぼりで退場。
ドラマみたいなことしちゃった。
お茶代、払わなかったな。
いつもかたくなに割り勘にしてもらってた。
こんなかたちでごちそうになるなんてな。
いや、今度会ったら渡そう。
今度?
今度っていつだ?