咀嚼伯爵(最終回)
「私は咀嚼伯爵。そなたの欲望の片棒担ぎ。」
「そなたは私がいるから生きている。私の力でガリガリ噛んで噛み付いて、生きる力を沸かせているのだ。」
「わかった。」
「なんだ。」
「だから食べてしまうのね。出て行って。この城から…私の中から出て行って!」
「後悔するぞ。」
「二度と、戻って来ないで。」
「…決~別ッ!」
伯爵は馬と共に旅に出た。
寂しさと心配で苛立ち、目につくもの何にでも噛み付いた。
チョコレートに見える板切れ、
餃子に見える犬の耳、
ワッフルに見える格子戸。
ムカつく政治家、
うるさいおばさん、
なんだかんだ理由をつけて2階から降りてこないこどもべやおじさん。
噛んで齧って噛み付いて、
すっかり強い顎になってふたたび城に戻って来た。
するとそこには変わり果てた姫の姿があった。
枯れ枝のようにひからびた手足、ゴリゴリの頬骨。
咀嚼がうまく出来ない姫は、チューブにつながれてかろうじて息をしていた。
「ただいま戻った。」
「おひゃえい。」
歯のない姫が、ふがふがと答えた。
「合~ッ体ッ!」
下半身の馬と共に、また独特のポーズを決めた。
伯爵が姫の口の中に収まった。ように見えた。
やせてゆがんだ姫の顎は、最初は居心地がわるかった。ように見えた。
「噛め。」
姫はゆっくり、がちがちと歯を噛み合せた。
唾液が出て来て、口の中が潤っていくのがわかった。ように見えた。
「噛めかめ。」
ゆっくりとあたたかいおかゆを噛んでみた。ゆるんだ米の甘さに驚いた。
「噛めかめかめ。」
茹でたササミを齧って噛んだ。弾力ごとに出てくる香ばしさに涙が出た。
「噛めかめかめかめ。」
蒸したブロッコリー、ふかしたジャガイモ。
そして、恋しくて同時に強く嫌悪し続けたクッキー、ビスケット、ポテトチップス、チョコレート。
ふたを開けたら止まらないじゃがりこも噛んだ。
「うまいか?」
「……うまい。」
「うまいか??」
「…うまい。」
姫はじゃがりこをつまむ手を止め、咀嚼したかたまりをごくりと飲み込んだ。
コンソメ味のじゃがりこの風味を反芻した。
「…うまい。」
そしてゆっくりと深呼吸すると、ポットで沸かしたあたたかいお茶を口にした。
すぐに飲み込まず、ほっぺたをふくらまして少しずつ嚥下した。
強い味覚がこびりついた口の中を、お茶がゆっくりと洗い流して行くのを感じた。
「…うまい。」
しぼんだ風船のようだった姫の頬が少しずつふっくらし始め、
枯れ枝のようだった手足にみちみちと筋肉が育った。
ゴムのように黄土色に張り付いていた肌は、お高い白桃のように産毛が立ち上がって来た。
ただ、いろんなものをガリガリと噛んで来た歯だけが、漫画のようにボロボロになった。
しかし!
姫はすぐさま歯医者を呼び、
ピカピカの、ロバのように強そうな総入れ歯を入れた。そして、
「さぁ!世界中に噛み付いて回るぞ!」
そう叫んだ。
「よーそろー!」
伯爵が雄叫びを上げた。
そして、陸上選手のような筋肉で、どこだかわからない方向にダッシュして行った。
グッドラック姫君!
なんだこれ。
なんだこれ。
なんだこれ。
客席の爆笑や拍手、その熱も相まって、何だかわけのわからない高揚感に包まれた。