さよならオブラージャ(第1回)

2021.02.25


  十二月二十九日

 空港からのバスは、例年に比べ乗客は少なかった。隣の席に置いたノースフェイスのリュックめがけて脱いだばかりのコートを放って腰を下ろす。飛行機を降りてからほんの数分間、空港内を歩くためだけにわざわざコートを羽織った。今年の年越しは近年では珍しく冷える。予報でもそう言っていたが、この空港は中心地からずいぶん離れた山の上にある。一際寒さも厳しい。
 「わざわざ帰って来る必要はない」一昨日も言ったセリフを親父はまた電話口でぶっきらぼうに放った。母親が亡くなってから、長男坊として年老いた父親の寡婦暮らしは気にかけていたのだが、その口ぶりを聞くにつけ、なかなか一人暮らしも楽しめているらしい。
 「いやそうは言ってもね」電話の向こうではテレビの音だろうか、笑い声が聞こえる。「寒いだろ、その家も。特に居間は何故か北側にあってさ」
 バスセンター行きのバスが走り出した。「そうなんだよ、居間がなぁ、寒い」
 窓の外を見やると粉雪が舞っていた。
 「寒くて一日中エアコンを点けているもんだから、ホラ、喉が」
 「うん、だから乾燥には気をつけないとな。明日、加湿器を買いに行こうよ」
 「しかしなぁ、寒くて外に出かけたくなくてなぁ、面倒くさい」
 「ごめん、バスの中だから、切るよ。着いたらまたかけるから」
 通話を切り上げる。と、妻からメッセージが届いていた。お義父さんにくれぐれもよろしく伝えてくれ、と。本来なら家族で里帰りなのだが、今年は娘の高校受験が控えている。妻もその万全のサポートに回るため、俺が単身での帰郷となった。サムズアップの絵文字で返事をしてスマートフォンをコートの上に放る。

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