さよならオブラージャ(第1回)
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私がヤスコと別れたのは二十時を過ぎて間もない頃だった。たった2時間のディナーだったけれど大いに盛り上がった。当然、もう一軒行くつもりでいたのだけれど、ヤスコは「息子と旦那が待ってるから」と。店を出ると、忘年会御一行様の群れがあちらこちらに見える。「本当はね、喋り足りないんだけど、息子が風邪気味でね、ゴメン」と笑って、ヤスコは旦那の迎えの車に颯爽と乗り込んで去っていった。
私は繁華街をぶらぶらと歩きながらアーケードを見上げた。白い息も街の灯りの橙色に染まる。今夜の雪は積もる、と朝の予報で言っていた。降雪自体が珍しいこの地域で、年の暮れに神様も意地悪したのか、それともささやかなプレゼントのつもりなのか。浮かれるほどに若くはない、と思っていたけれど、胸は少しだけいつもよりも上向きだ。たった一杯のワインが体温を上げた。雪が本降りになる前に、気が重いけど、あの家に帰ろう。明日、目が覚めて、銀世界とは言いがたい程度の近所の屋根を見晴らすことを楽しみにしたっていいじゃないの。
酔い醒ましのために少し歩きたい。路面電車で帰る予定だったけど、少し歩いてバスに乗ろう。少しでも長く、この身軽な外出を楽しんでいたい、そう思ってるのかもしれない。アーケードを抜け、きらびやかにライトアップされたバスターミナルを目指す。雪が頬を撫でるけど、ワインの血が流れてるからそんなに寒くない。傘をさすまでもない。ブーツのヒールも心地よい高音を奏でている。年賀はがきの仮設販売所で寒そうに呼び込みをしている、おそらく同世代であろうおじさんの目前をすり抜けてターミナルに入る。まだ二十九日だから、そんなに人は多くないか。でも去年はもっと多かったはず。
去年の今日は母親とお正月の買い物に出てきてたんだった。足が悪い母がお正月用の馬肉と魚を自分の目で選びたいと言ったから。私の運転でデパートの駐車場まで二人でやってきて結局は車椅子を借りたのだった。母は最初は恥ずかしそうで伏し目がちに居たけれど、人でひしめき合うデパートの地下を突き進むうちに明るい表情になった。母も、それを後ろから押している私も徐々に背中が伸びて目線も上がっていった。姉夫婦が毎年二日にやってくるから、母も張り切っているのだ。姪と甥に渡すお年玉用のポチ袋をまだ買ってなかった、って私も思い出す。
去年の思い出につられて上がった現在の私の視線は、ターミナルの上階のテラスの明かりに停まった。次のバスまでは少し時間もあるし、あのテラスまで行ってみようか。すぐには帰りたくないんだからしょうがない。ちょっと早足になる。私、楽しくなっている。細いテナントの隙間をすり抜けて私は開けた天空に出る。空に大きく手を伸ばした巨大なマスコットのオブジェ。眼下に広がる街角はキラキラと輝いている。