さよならオブラージャ(第3回)

2021.02.27


  十二月三十一日

 男が二人、部屋の中に居ても、何かが大きく動き出すことはない。
 親父も俺も、漫然とテレビを眺めているばかりだ。
 持ってきた土産のおかきの包みが炬燵の上に数袋散らかっている。それを屑籠に捨てることなく、大の大人が、年末の生活を大いに怠慢し、その怠慢を慈しんでいる。
 昨日、一緒に出かけて購入した空気清浄機能付きの加湿器(加湿機能付きの空気清浄機か?)は、盛大に蒸気を噴き出している。父の新しい同居人、と言ってもいい程にその存在を主張する。

 結局、昨夜は何軒もフラれる羽目になったのだった。目についた店を覗く度、忘年会の賑やかな集団でどこも満席だった。この土地を離れて二十年は経つ俺に行きつけの店があるはずも無く、この状況に春香は「私もこんなに遅くまで外にいることなんて何年もないもの」と笑う。どこでもいい。どこか開いていないのか。

 中学生の俺と春香は、卒業までの数ヶ月付き合っていた。付き合っていると言っても下校時のひとときを一緒に過ごしたり、同じ学習塾で顔を合わせることに喜びを感じたりする程度の付き合いだ。中学生の恋愛なんてそういうものだ。一度か二度、デートをした。市街地で待ち合わせ、マックで学校の友人についての他愛ない話に興じた。春香は隣県の女子校への進学を希望しているらしかった。看護師だか栄養士だかになりたいと言っていたと記憶しているが、何になりたいかというより、外の世界に出て行きたい気持ちが大きかった。彼女の姉は近所でも評判の美人の才女で高校は地元の進学校に通っていたが、その姉と別の道を歩きたい、というようなことを言っていたのではなかったか。家庭の内情などを訊くわけでもなく、たとえ尋ねたとしてもそれに対して何かを言えるほどの知恵や経験は俺には無いのだから、おそらくその話題は膨らまなかったはずだ。
 「中学生の俺たちに、今日のことを話すことが出来たならさ」バスルームのドアの向こうにいる春香に声を掛ける。「どんな顔するんだろうな」
 返事はない。ドライヤーの音に阻まれて、俺の徒らな質問など彼女には届いていない。届いたとしても、この話題もさほど膨らみそうにも思えない。

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